木本桂春

9月19日
鷲走山(わっそうやま)

 丑三つ時、窓を開ければ満天の星。行くしかないので今月の酉の山は、おとなり石川県の手取ダム近辺の鷲走山を目指す。この山は春先に頂上付近に鷲の形をした雪形があらわれそれを山名とするとか。北陸高速を金沢西ICから手取ダム下の東二口集落へ、過疎の進んだ集落まだ眠っていた。集落を通り抜け、車止めゲートの鎖を外し、林道を走る、左手にロックウェル式ダムが見えだした。

        
ロックウェルの手取ダム

 台風の雨の影響かダムの水は濁っていた。林道はT字路になる、この正面が鷲走山の取付だ。右に登れば白抜山へ、あっさりと頂上に立つ。白山と加賀平野と海が見えた。白山から陽が登り、日本海に沈む、何か意味がありそうだ。そこから鷲走山へ向かう。道はきれいに手入れされ文句なし。台風の影響か草が倒れ、道を水が流れた跡がある。少し荒れたのだろう。右手に沢の水音を聞きながら登る。ナナカマドが紅く、アケビの実は青い、まだ秋の入り口だ。

         
紅葉にはチョット早いかナナカマド

 沢が細くなりその源頭を横切ると尾根上に出る。ゆるやかな尾根を登り、大きな杉の林を過ぎると頂上だ。石の方位盤、三角点、何よりも巨大な反射板は邪魔だ。東に白山が見下していた。
          

頂上から白山に見下され

 鴇ヶ谷コースを下る。かつては鴇(トキ)がいて、鷲もいた野鳥の楽園だったのだろう。もしかして手で簡単に捕れるほど生息していたのかもしれない(加賀藩の古文書に鴇の捕獲がある)。色々考えながら林道に出る。さらに下ると出作り小屋が右手に出てきて、林道は東二口に向かう。芒が銀色に光り波打つ。虫の音、爽やかな風、誰もいない林道を秋の陽を浴びて歩いた。幸せだねとしみじみと感じた。
           

芒の林道を行く

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9月30日
白山を駒の山行に決める

 今月の馬の山を決めかねていた。かねがね思っていたのだが、白山には馬に関する地名が多い。山麓は福井、石川、岐阜の3県にまたがり、ここから白山への禅譲道が開かれそれぞれ越前馬場、加賀馬場、美濃馬場と呼ばれていた。
 又、白山山頂をはさんだ南北には南竜ガ馬場、北竜ガ馬場、観光新道には馬のたてがみの地名があり、馬にちなむ地名が絡みつく。
 白山の開山は養老元年(717年)越前の僧・泰澄開山。今年は開山1300年に当たる。それから後の約1000年後、修験僧・仏師・歌人で名のある円空は美濃側の現在の郡上八幡の法伝の滝で白山神の託告を受けたと言われる。円空は駒、馬の歌も残している。
  駒が嶽 のりくら山の 神なるか けさの御山 夕立そする
  しなのなる 駒ノ嶽ノ 雪消て 袖打払 築ヵとそミる
  白ら山や 神ノ形 小児なれや 白馬乗て 弓矢持つつ
 駒ヶ岳、駒ノ嶽、白ら山などいずれも山を巨大な馬と見る古来の日本人の想像によるものだ。円空も谷に残る雪を鞭にして弓矢持って馬にまたがり天空を飛び歩く、おのれを想像している。円空が白山に登ったのかは定かではないが、修験の体験者は白山神の懐に入ったのかもしれない。
 9月最後の白山を駒の山行に決めた。29日夕刻、岐阜県白川村平瀬の大白川ダムキャンプ場に泊まる。
 丑三つ時を過ぎたので行動開始。気温7度。今日もヘッドランプを灯して発つ。
 夜明け、6時ごろ槍から乗鞍岳方面が見えだす。
          

左端、槍ヶ岳、正面が乗鞍岳

 樹林帯を抜けると大倉山、少しくだると白山が前方に見える。
          

紅葉の上に立つ白山の御前峰と剣ガ峰
          

犀の河原から南竜ガ馬場方面、右 別山、左 南白山

 2000m付近の池塘の水には薄氷が張っている、冬はすぐそこだ。室堂に着くとそこには大勢の老若の登山者の群れがあった。
         

頂上の奥宮

 十数年ぶりの頂上・奥宮。いろいろなことに感謝とお願いをする。何よりも今日安全に導きいただいたことに感謝。
 土曜で天気が良く、頂上も登山者がいっぱい。低山をウィークデーに徘徊している老残は今年初めての多勢との出会い、早々に退散。平瀬方面は静かなもの、のんびりとした下山です。

     
霞んでいるのが御岳、右手に噴煙が見えた
 
    
上から見た大倉山左の谷の紅葉

 馬と駒と円空を考えながら、紅葉の白山を早朝から夕方まで頑張った山行でした。