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箱根湿生花園と長安寺 [日々散策]

伊達樹里

5月10日、娘の保育園時代のママ友と箱根へ。ハイクでなくても、花が見られて、自然や静けさにひたれるスポットを訪ねました。

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青いケシ
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コマクサ
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キスゲとトラノオ
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クリンソウ
湿生花園では、話題のヒマラヤの青いけし、そしてなんと、コマクサ、クロユリ、ニッコウキスゲ、姫シャクナゲまであって、初夏先取りでした。

長安寺は、東国花の寺(関東1都6県の「花の寺」と称される寺院が集まり、2001年3月に発会)として、評判です。

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五百羅漢の像を建立中、様々な表情や物腰が優しく、時にユーモラスです。

クマガイソウも終わりかけていましたが、たくさんのシャクヤクが見事でした。
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都留・吉田のワンデイトリップ [日々散策]

伊達樹里

昨年の望年登山で存在を知った夏苅遊水地を、ご近所の友人と再訪。

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私たちは十日市場駅から田原の滝へ。
この滝は本来の地形を残しながら崩落を食い止めるために護岸したものです。
脇にこの滝を詠んだ芭蕉の句碑も。
勢ひあり 氷消えては瀧津魚  芭蕉

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国道をわたって訪ねた永寿院にも、湧水が勢いよく流れ、さらに高速道路をくぐって、訪ねた長慶寺の遊水地には梅花藻が咲き始めていました。

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そして、途中十二天神社の石段の横にはニリンソウが見られました。

富士を身近に見ながら住宅街を歩いて、太郎次郎の滝へ。柄杓流川原におりると、冷気がただよい、雪解け水で水量が増している滝音が轟いていました。

さて次は、乗客はほとんど外国人の富士急行線に乗って、下吉田駅へ。
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これもKFCで登った新倉山へ。葉桜でしたが、展望台までいくと、そよ風がさわやかで、富士山はくっきり見られました。
そして歩いて葭池温泉へ。ひなびた温泉でほっこりして、こしのある吉田うどんを食べました。

以上、遅くなりましたが、4月20日の報告でした。
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いわき市田人町のクマガイソウ [日々散策]

竹中昌子

田人のクマガイソウは、21人乗りのマイクロバスを仕立てた、地元の観光会社の募集が新聞にありましたので、友人と4日に初めて見に行きました。
地元では有名な群生地ですが、なんせ、道路が狭く、私の運転では、「無理!! 止めたほうがいい」といつも言われて、ほとんど諦めていました。
毎年、団体の参加者募集はあったようですが気付かず、今回参加することが出来ました。狭い道路は、やはり、私では無理だと納得。帰路は、お天気がよくなったせいか、見学車両が次々と来て、お互い脇に避けたり、バックしたりで、一方通行ではなかった!! と、改めて団体でよかったと思いました。

クマガイソウは見事な群生5万株。
奥の方は氷雨のせいか、花つきが小さかったようですが、これから、次々と咲くことでしょう。

当日撮影した写真2点お披露目いたします。
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道の狭さを含めて、どんな様子なのか、わかる動画は以下でご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=O6zwe1S8l8w

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僧ヶ岳の雪形「こも僧」現る [日々散策]

木本桂春

今日は、あいにくの雨です。田口さんから依頼された、僧ヶ岳に関する文献調査と現地調査に魚津市へ。図書館から僧ヶ岳山麓の小川寺に向かいます。

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左上に笠を付けた虚無僧が杖を突いて出ています。
山麓の緑の上に現れました。
         
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いつか春風 里より吹けば 山のこも僧が 腰あげる
小川寺の光学坊に建つ、僧ヶ岳の雪形を詠んだ 《布施谷節(ふせんたんぶし)》の歌碑です。
https://www2.nhk.or.jp/archives/michi/cgi/detail.cgi?dasID=D0004400261_00000
      
7月29日に千光寺が前僧ヶ岳で山岳法要を営みます。
僧ヶ岳開山に安置した大威徳明王を門徒衆が担ぎ上げます。
車で林道末端へそこから2時間、前僧ヶ岳頂上に祭壇を設け、
僧の読経が行われます。
私は参加予定です。希望者はご連絡ください。
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秋田でもようやく桜が咲きました [日々散策]

清水川修

大潟村の桜はまだですが50km南の秋田市は今満開です。

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写真は住居の近くの今朝の太平川の桜です。
菅江真澄は、さくら山さくら邑の辺から流れてくるので
さくら川と呼んだらどうか、と言っています。
歌にも俳句にもよい名前だと私も思います。

    さくら川朝日の色もせき入れて薄くれないの花のした水
    さくら川無量無尽の花吹雪

いつもこんな天気だと秋田も過ごしやすいのですが。

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古式獅子舞 [日々散策]

北村健治

4月8日(日)長男と孫娘一人と、高水山常福院「古式獅子舞」(青梅市成木地区)を訪ねる。同日、青梅市内では、古式獅子舞披露が梅郷でもあった。

今年は高水山山頂(759m)の常福院不動堂で、7年ぶりに小学生の新人が二人加わっての舞の披露とあって、8日付けの読売新聞にも地域版に大きく紹介された。

青梅市無形民俗文化財でもあり、江戸時代中期1768(明和5)年以来、250周年の伝統ある奉納獅子舞である。愛好者が百数十名以上も駆けつけていた。

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左側の不動堂前で紹介されている、獅子と舞役者たち

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獅子舞披露を見物する人々

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熱演する獅子

不動堂境内は杉木立の中、ヤマザクラや古木のミツバツツジが満開。林床にはカタクリの遅れ咲き、幾種類かのスミレ、ミヤマカタバミの優美な白花も咲き始め、各種の広葉樹も芽吹き、ものによっては花盛り。まさに春爛漫の中で、獅子舞保存会関係者の心尽くしの出店サービスもあり、家族連れや登山者なども楽しんでいた。

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高水山常福院不動堂前に立つ貫禄ある幟(のぼり)旗、左は満開のミツバツツジ

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不動堂境内や周辺の林床に群生する見事なミヤマカタバミ

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高水山(759m)山頂
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片倉城址公園のカタクリ [日々散策]

平井英明

昨日の谷さんの報告のカタクリの花に触発されたのと、今週は東京にいたので、早速、片倉城址公園に行ってきました。
こんなに群生しているカタクリは筑波山以来で久しぶりに堪能しました。
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また、桜は都心では満開宣言されましたが、ここは3分咲き程度でしたが、家族連れなどでにぎわっていました。
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谷さんの紹介に感謝です。
ありがとうございました。


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駒のつく神社を訪ねる(10)~青梅市根ヶ布・虎柏(とらがしわ)神社 [日々散策]

北村健治

 創建時期は不詳。崇神天皇の御代との伝説がある。1870(明治3)年脇殿に祀られていた虎柏神を正殿に遷し、諏訪上下神(建御名方命・八坂刀売命:女神)を東の相殿として、虎柏神社の旧称に復した。延喜式内社(論社)に比定される古社で、延喜式神名帳には武藏国多摩郡八座の一座に数えられる、調布市佐須町の虎狛(こはく)神社との関係が定かでない。駒ヶ岳ファンクラブ発行の改訂「全国駒名の神社リスト」に掲載されているが、調布の虎狛(こはく)神社ほどの「駒」「高麗」との関わりが少ないと思われる。
 主祭神は、大歳御祖信神(おおとしみおやのかみ)、惶根神(かしこねのかみ:女神)である。青梅市根ヶ布に鎮座し、霞川水源地帯にあって、下流域の水田地帯で耕作が始められると人々はその水源に耕作の神を祀ったのが始まりと考えられ、古くから周辺(霞・小曽木一帯)の農民に信仰されて、五穀の豊饒を祈るようになった。
 940(天慶3)年平将門征伐軍の源経基が諏訪上下神を勧請し、永正(1504-1521)年間勝沼城主三田氏宗により再興されたと伝わる。
 1588(天正16)年浅野長政が除疫神(牛頭天王)を勧請したと伝えられ、これが西の相殿の八雲神社(須佐之男命・事代主命)である。1590(天正18)年正殿に諏訪上下神、東の相殿に除疫神を祀り、小曽木郷の惣社を号して、江戸時代には諏訪明神・諏訪宮と称し、今でも「お諏訪さま」と通称される。1591(天正19)年には徳川氏から朱印地三石を下賜される。   
 現在の本殿は、江戸時代中期の1734(享保19)年、多摩郡青梅村大柳の張海次郎兵衛が棟梁を務め、同郡羽村根岸の大工宮川善右衛門らが工事に携わり建立されたものである。形式構造は三間社・切妻造・茅葺きで身舎(もや)の規模は桁行(間口)4.877m・梁間(奥行)2.940mである。現存する棟札からは、江戸時代の1777(安永6)年に修理が行われていることが分かる。その後前記の明治初年における祭神の配置替えがあって、1873(明治6)年郷社に列した。1892(明治25)年に階段の修理と屋根の葺き替え、1906(明治39)年に屋根の葺き替え、1909(明治42)年には覆舎の造立が行われた。保存状態は良好である。
 この本殿は、公儀普請の建物を除くと、東京都内でも数少ない三間社の遺構の一つで、建築年代も三間社としては古い時期に属し、装飾的な要素も控えめで全体的に古式を伝える貴重な神社建築である。

都指定有形文化財〔1971(昭和46)年3月29日指定〕 
 境内の末社には高峯神社と稲荷神社が諏訪神と同じく源経基が勧請したものであり、もとは西の相殿に祀られていたとのことである。藤原氏の祖先である天児屋根命を祀る藤原神社があり、1573-1590(天正)年間に元宮司であった宮崎氏中興の右エ衛門太夫が藤原姓であったことによる。
 江戸時代以降に寄進された石造物や古木のある境内林は、江戸・明治期の旧態を留めている宗教的神秘性のある独特な空間を形成している。

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門前に建つ記念塔

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参道入口

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参道は大きく右へ曲がって本殿を望む

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都文化財説明板

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拝殿と覆舎に保護されている本殿

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拝殿の天井

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長い参道には、石灯篭

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素晴らしい境内

 年間行事として、歳旦祭・節分祭・祈年祭・八雲祭・例大祭8月26~28日・高峯神社例祭・七五三・新嘗祭・おかまじめ頒布・大祓式などがあり、千百有余年にわたり地域から崇拝され親しまれている格式と歴史のある神社であるが、中世以降、「おすわさん」として、霞川・黒沢川流域の鎮守様として親しまれている。江戸期の「玉川泝源日記」には「諏訪明神礼祭七月廿八日は近郷の若人ども集りて角力を興行して、東西に分れて取組みて勝負あらそえるを見物群集せり」とある。
 交通は、JR青梅線東青梅駅から小曽木・成木方面へ徒歩で約20~25分。バスの便あり。バス停名(都バス)などもいまだに諏訪神社である。

参考資料:平成18年作成の神社資料と青梅市誌や『ウィキペディア』による。




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糸魚川駒ヶ岳山麓・雪の散歩 [日々散策]

木本桂春

1月15日、前日に続き晴です。車で行ける糸魚川山麓の散歩に出かけます。
糸魚川から姫川に沿い、根知谷をたどります。

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カネコロ
頂上から落ちる壁にカネコロの氷瀑が下方の雪に突き刺さっています。
右下方に飯盛山のスノーリッジが見えます。

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ワニ口の洞窟
左に目を転じると西壁に2本の氷瀑が落ちこんでいます。
この間にワニ口の洞窟があり、不動明王、十二仏の石仏、
木の祠に入った木像があります。冬は全く近ずくことが出来ません。
大久保で車道はストップです。カンジキで歩きます。

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雨飾山
雨飾山の双耳峰が見えています。写真では見えませんが、雪煙が右から左に見えています。

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鋸山
駒ヶ岳、鬼ヶ面山、鋸山と縦走路があります。これは鋸山です。
雪のある時は厳しい雪稜歩きになります。雨飾山に連なります。

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戸倉山
いつも行く戸倉山です。今日はそこまでは足が届きません。

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白池
白池、大雪と言っても昔から見れば2m位少ないです。
本日の散歩終了。


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駒のつく神社を訪ねる(9)~調布市佐須町・虎狛(こはく)神社(別名虎柏神社)                  [日々散策]

北村健治

 創建は589(崇峻天皇2)年8月とされるが、天平勝宝年間との異説がある。多摩川流域で最も古くから拓かれた地域として、1873(明治6)年旧郷社の中でも佐須地区総鎮守であった。狛江郷(狛江・調布)に、住居を定めた渡来系高麗人の集落神として祀られた古社と推定されている。907(延喜7)年撰上の延喜式神名帳に武蔵国多摩郡八座の一座として記載されている「虎柏神社(こはくじんじゃ)」の「柏」の字が「狛」の字の誤記であるという説によって、当社が式内社(論社)となっている。同名社が青梅市根ヶ布にあるが、関係が定かでない。
 また、「深大寺縁起」によれば、深大寺(733)の開祖・満功上人の祖父の右近長者の居住地・柏野里と祖母虎女、それぞれの名から虎柏明神と名付けられたという。後世衰微して神体もなくなった時代があり、祭祀も毎年8月15日に行なってい廃絶して、その後地頭の寄附により9月13日に神楽を執行し、村内祇園寺が別当となり江戸時代を迎えた。江戸時代までの旧別当・虎狛山日光院祇園寺〔佐須町〕から、明治の分離令によって分離独立して、1873(明治6)年12月には旧郷社に列格している。
 いずれにしても、奈良時代以前の渡来人の居住地であった、狛江郷一帯の史蹟資料からの総合的な判断では、5世紀後半から6世紀にはかなり高度な寺社絡みの土木・建設・建築技術や農業技能を中心とする高水準の民俗文化が朝鮮半島から多摩川中下流域に持ち込まれていたことを物語る、興味深い神社である。現在の本務社は狛江市伊豆美神社である。
 祭神は農業の神様である大歳御祖神(オオトシミオヤノカミ)がお祀りされて祭事が始まったとされる。後に穀物の神様である倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)も合祀された。

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①大鳥居

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②参道奥に社殿を望む(社務所前の巨石碑⑤)
 
 現存する本社殿は、1683(天和3)年12月に再建されたもので、調布市、狛江市では最も古い建造物の一つである。江戸時代初期の高度な建築技法をよくとどめた建造物であり、建築形式は一間社流造りの見世棚造りと呼ばれるもので正面と側面に擬宝珠高欄付きの切目縁をめぐらせ向拝には五段の木階と浜縁が設けられている。拝殿上部には細やかな美しい造形の虎や獅子が彫られている。本殿屋根も当初茅葺であったが銅板葺きに改修した。願主は貫井三良右衛門、新右衛門、牛込の大工柏崎佐太郎などによるとの三枚の棟札があり、1815(文化12)年に地元の大工によって修復されたことも分かっている。大正時代以降修築されず、痛みが酷く荒れた時期もあったが、2012(平成24)年3月調布市の文化財指定を受けて、2014(平成26)年に改修整備が行われた。文化財指定の本殿は覆殿の中に保存されている。

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③枯れたクロマツの巨木の切り株?

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④拝殿の奥に本殿(覆屋の中)

 なお、境内には「江戸名所図会」にも取り上げられていたほどの古くから知られていた、「虎狛神社のクロマツ」の巨木があった。都内でも有数のクロマツの大木で1964(昭和39)年に東京都の天然記念物に指定され、推定樹齢300年以上で灰黒色を呈した樹皮の一部に大きな裂け目が一直線に入っており、樹高28メートル、幹まわり4.45メートル、大きな傘状の枝張りは8メートルとの記録(1993)がある。都内の三巨松に数えられて、永くよく保存されていた御神木であったが、落雷や松くい虫の被害に遭って衰弱し、1996(平成8)年の枯死したため、1999(平成11)年に天然記念物指定を解除されている。

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⑤巨石の「狛江郷須佐邨虎狛神社之碑」

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⑥鈴のある拝殿

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⑦境内を埋める広葉樹の木立

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⑧富士山・講社登山記念碑(6回の登山記録)

 境内には、拝殿前に「邨虎狛神社の碑」の巨石が建っている。その他日清戦争の「征清従軍碑」、富士山の「講社登山記念碑」1921(大正10)年などがある。
 祭  日:10月10日
 交  通:京王線布田駅から徒歩15~18分。
      京王線調布駅からJR吉祥寺駅行きバス、佐須下車約3分。
      京王線調布駅から36・37系統バスで、虎狛神社前下車。
 参考資料:『新編武蔵風土記稿』、『調布市誌』や『ウィキペディア』による。
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