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駒のつく神社を訪ねる(11)駒宮神社 [日々散策]

北村健治

 2017(H29)年11月、機会があって、久しぶりにあきる野市から桧原村を通って、都県境の甲武トンネルを抜け、長寿村で知られた棡原(椿)地区を経由し、鶴川から国道20号を西進、かなり紅葉した大月市猿橋から右に分かれて、国道139号を辿って旧七保村に入った。
 葛野川を左に右に、大島・葛野・田無瀬・下瀬戸・上平と北へ向い、瀬戸草木地区に入ると、駒宮入口の看板に気付いた。川向こう側の西向き斜面に見える数十軒の集落が駒宮地区である。
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 駒ヶ岳学講座シリーズⅠ「改訂 全国の駒名の神社リスト」を開くと、山梨県の項に、12件の駒名の神社が紹介されている。その7)に、駒宮神社(大月市七保町駒宮)がある。
 さて、駒宮地区は桂川に北から合流する葛野川の左岸わずかに開けた斜面に数十軒が点在する小集落で、地区のほぼ中央部分の山側に西向きに春日神社が鎮座している。

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駒宮地区の鎮守:春日神社鳥居

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モダンな拝殿

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立派な本殿が覆屋に守られている

 これが駒宮地区にある神社という意味で、いつの日かどなたかによって、駒宮神社と誤記されたものと思われる。折角訪ねたので、門前のお宅で訪ねてみたが、『駒宮神社』と呼んだことは「聞いたことがない」との返事であった。

 地区内には、将門の次男を祖先とするとの由緒ある酒井家でもお尋ねしてはみたが、裏山に富士浅間神社が祀られているが、その由来や駒宮の駒の由来は特に聞いたことがないとの話であった。この酒井家の屋敷からの富士山は素晴らしい眺めであった。

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地区最上部に構える酒井家次男

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酒井家屋敷の一角から、雪の富士山

 地区入り口の橋にも駒宮橋と名付けられているが、地区内に馬を引き入れるについて地区名から名付けられたとのことである。すると、駒宮の駒はいつからどんな意味で使われるようになったのかが不明である。


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駒宮地区の全景(酒井家は左上)

 駒宮からの帰路、大月市駒橋地区を通った。後日、駒橋の地名も調べたが、一説には、東隣にある有名な猿橋の地名に対抗して、造語した地名との説明があった。  

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