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新潟県最西端の塩の道探索 [日々散策]

木本桂春

糸魚川市のフォツサマグナを形成する姫川左岸の小滝から明星山と黒姫山の間を青海町・橋立へ、さらに白鳥山麓の上路から越中へ繋がる古道があり、越中ー越後ー信濃への道として往古より人の往来があった。
小滝ー青海・橋立間の距離12km。
昭和30年代くらいまでは、薪・炭などの生産のため道は使われていたが、その後廃道となる。
      
糸魚川から信濃方面への塩の道は右岸の根知谷・山口関所を越える道、左岸の虫川関所を通る2本が本道であったが、この関所を避けて塩を運んだ「塩のぬけ道」であった。ぬけ道の争いについては文化年間に藩でも取り上げられ調停がなされた。
またこの道は往古に謡曲「山姥」の舞台となった古道でもあった。
      
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図・塩の道概念図

この古道を糸魚川市の八木氏が古絵図、古文書、文献、伝承、現地在住者への聞き込み調査をもとに2004-2013年にかけて伐採・整備を実施、貫通を見た。その時の活動に参加させてもらった。
あれから5年、その後の道はどうなのか、積み残した課題の調査も兼ねて友人と再探訪してみた。
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明星山への登山道と別れ、右手の古道へ。
ここには赤テープを目印に付けます。

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途中に咲く、シラネアオイです。

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古道はサカサ沢の緩やかな中を通ります。

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尾根に登ると標木の大きなブナの木に出会います。古い鉈目が残っています。
            
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時々、しっかりとした道に出会いますが、注意していないと見失います。

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今日の目安としていた一本松山を少し下った地点です。

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この下に当時「石頭」と呼んでいた径15cmの丸い石が埋めてあり、5年ぶりの出会いです。石に人面らしいものと「天正元年・北ノ庄」と彫られています。
今回、石の材質と文字を解析するため掘り出しました。

ザックに入れた石頭を背に悠々と下ります。
1時間でサカサ沢をわたり、明星山登山道の付近に達したのですが、ガスと緑の藪で道が見当たりません。
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2人ともこの辺りを知り尽くしていると思っていましたが、
30分経っても道が見つからず、2人で方向を変え探します。
マップで検討しますが方向が解らず、磁石も持たず、老残は困り果ててしまいました。
雨が降り出し、思わず「おいおい」これは何だ。
2人で地図を見ていると左右に2本の沢がかすかに見えだします。
沢へは下らず、この中間尾根を辿ると朝に付けたペナントにやっと出会いました。

道に迷ってから2時間半の彷徨でした。
雨中下山。反省しきり。6月7日の出来事でした。

6月14日・KFC情報の「山岳遭難救助隊・・・」を見て、装備を点検。
コンパスの準備、ヘッドランプの電池、ヤッケ、セータ、非常食などの再点検をしました。
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