群馬県水上町の駒形山(高畠山中腹の岩) [登山報告]
髙田健三
群馬県水上町(旧新治村)の赤谷湖近傍の道の駅たくみの里の観光案内図に「駒形山」が記載されていた。
写真①右側の案内板に駒形山とある。
写真②案内板を拡大した。
写真③道の駅近傍からの駒形山(岩)。
高畠山(1,143m)の山腹にある岩を駒形山と呼んでいる。
写真④高畠山の南西標高850mぐらいまで林道があって終点に「中野の森プロジェクト」と言う植林のエリアがあって、そこに駐車した。
写真⑤駐車場から高畠山方面(山頂は中央の丘に隠れている)を見る。
こんもりした樹林帯を左から右へ向かってヤブコギをして山頂に達する。
写真⑥高畠山山頂。山名板は無い、展望も全くない。
写真⑦山頂三角点。
登山実施日:平成30年6月29日(金)。この日関東地方は梅雨明けした。
駒形山に関して、追記。
雑誌『山と渓谷』74号[昭和17(1942)年7月号]に木暮理太郎が「吾妻の山川」を掲載している。
その中に《駒形山 所在・須川町字駒形。形状・駒形山は形容三角形にして、岩面に駒形著しきを以て名づく。岩下に馬頭観音を安置す。高二十丈周囲七百間、登路八町。以下略》とあった。
2.5万分の1地形図『猿ヶ京』から、高畠山から東へ延びている尾根の末端に岩記号があって、そこが駒形山(岩)である。その岩記号の麓に鳥居マーク(神社)があて、地元では観音堂と言っていた。
その観音堂に平成29年5月に訪れた。
標高約790mにある観音堂には「駒形山」と書かれたお賽銭箱があった。奉納額には「北毛駒形山馬頭観世音堂改修記念」の俳句が奉納されていた。
この辺の住所は旧名で「新治村大字須川字駒形」となっていた。
群馬県水上町(旧新治村)の赤谷湖近傍の道の駅たくみの里の観光案内図に「駒形山」が記載されていた。
写真①右側の案内板に駒形山とある。
写真②案内板を拡大した。
写真③道の駅近傍からの駒形山(岩)。
高畠山(1,143m)の山腹にある岩を駒形山と呼んでいる。
写真④高畠山の南西標高850mぐらいまで林道があって終点に「中野の森プロジェクト」と言う植林のエリアがあって、そこに駐車した。
写真⑤駐車場から高畠山方面(山頂は中央の丘に隠れている)を見る。
こんもりした樹林帯を左から右へ向かってヤブコギをして山頂に達する。
写真⑥高畠山山頂。山名板は無い、展望も全くない。
写真⑦山頂三角点。
登山実施日:平成30年6月29日(金)。この日関東地方は梅雨明けした。
駒形山に関して、追記。
雑誌『山と渓谷』74号[昭和17(1942)年7月号]に木暮理太郎が「吾妻の山川」を掲載している。
その中に《駒形山 所在・須川町字駒形。形状・駒形山は形容三角形にして、岩面に駒形著しきを以て名づく。岩下に馬頭観音を安置す。高二十丈周囲七百間、登路八町。以下略》とあった。
2.5万分の1地形図『猿ヶ京』から、高畠山から東へ延びている尾根の末端に岩記号があって、そこが駒形山(岩)である。その岩記号の麓に鳥居マーク(神社)があて、地元では観音堂と言っていた。
その観音堂に平成29年5月に訪れた。
標高約790mにある観音堂には「駒形山」と書かれたお賽銭箱があった。奉納額には「北毛駒形山馬頭観世音堂改修記念」の俳句が奉納されていた。
この辺の住所は旧名で「新治村大字須川字駒形」となっていた。
2018-06-30 18:18
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下駒ヶ岳散歩 [登山報告]
木本桂春
梅雨の晴れ間の散歩です。少しきついのですが下駒ヶ岳へ。
昨年の豪雨坂田峠への林道は工事のため、平日閉鎖され日曜日だけ利用可能です。山姥ルートに入り、工事区手前に車停車。
山が抜けた崩壊地点です。これを越えて30分林道を歩きます。
山道入り口に咲く、朴の花の下を潜り抜け。涼しい緑のトンネルの道を登ります。
栂海新道に出ると遠くに、右から戸隠山、高妻山、金山、焼山、火打山が見えてきます。
白鳥山を通過、3.5時間かけて下駒ヶ岳です。
頂上からの展望はよくありません。背伸びしてみる犬ヶ岳。左の肩に朝日岳方面が見えています。
犬ヶ岳と初雪山の鞍部から剱岳が見えます。頂上から雪の着いた尾根が早月尾根です。
右に初雪山、標高1500mたらずですが残雪はまだ多いです。これから本格的梅雨で夏は加速していきます。
夏の入り口の爽やかな山行でした。
往復7.5時間、6月14日の出来事でした。
梅雨の晴れ間の散歩です。少しきついのですが下駒ヶ岳へ。
昨年の豪雨坂田峠への林道は工事のため、平日閉鎖され日曜日だけ利用可能です。山姥ルートに入り、工事区手前に車停車。
山が抜けた崩壊地点です。これを越えて30分林道を歩きます。
山道入り口に咲く、朴の花の下を潜り抜け。涼しい緑のトンネルの道を登ります。
栂海新道に出ると遠くに、右から戸隠山、高妻山、金山、焼山、火打山が見えてきます。
白鳥山を通過、3.5時間かけて下駒ヶ岳です。
頂上からの展望はよくありません。背伸びしてみる犬ヶ岳。左の肩に朝日岳方面が見えています。
犬ヶ岳と初雪山の鞍部から剱岳が見えます。頂上から雪の着いた尾根が早月尾根です。
右に初雪山、標高1500mたらずですが残雪はまだ多いです。これから本格的梅雨で夏は加速していきます。
夏の入り口の爽やかな山行でした。
往復7.5時間、6月14日の出来事でした。
2018-06-23 11:21
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新潟県最西端の塩の道探索 [日々散策]
木本桂春
糸魚川市のフォツサマグナを形成する姫川左岸の小滝から明星山と黒姫山の間を青海町・橋立へ、さらに白鳥山麓の上路から越中へ繋がる古道があり、越中ー越後ー信濃への道として往古より人の往来があった。
小滝ー青海・橋立間の距離12km。
昭和30年代くらいまでは、薪・炭などの生産のため道は使われていたが、その後廃道となる。
糸魚川から信濃方面への塩の道は右岸の根知谷・山口関所を越える道、左岸の虫川関所を通る2本が本道であったが、この関所を避けて塩を運んだ「塩のぬけ道」であった。ぬけ道の争いについては文化年間に藩でも取り上げられ調停がなされた。
またこの道は往古に謡曲「山姥」の舞台となった古道でもあった。
図・塩の道概念図
この古道を糸魚川市の八木氏が古絵図、古文書、文献、伝承、現地在住者への聞き込み調査をもとに2004-2013年にかけて伐採・整備を実施、貫通を見た。その時の活動に参加させてもらった。
あれから5年、その後の道はどうなのか、積み残した課題の調査も兼ねて友人と再探訪してみた。
明星山への登山道と別れ、右手の古道へ。
ここには赤テープを目印に付けます。
途中に咲く、シラネアオイです。
古道はサカサ沢の緩やかな中を通ります。
尾根に登ると標木の大きなブナの木に出会います。古い鉈目が残っています。
時々、しっかりとした道に出会いますが、注意していないと見失います。
今日の目安としていた一本松山を少し下った地点です。
この下に当時「石頭」と呼んでいた径15cmの丸い石が埋めてあり、5年ぶりの出会いです。石に人面らしいものと「天正元年・北ノ庄」と彫られています。
今回、石の材質と文字を解析するため掘り出しました。
ザックに入れた石頭を背に悠々と下ります。
1時間でサカサ沢をわたり、明星山登山道の付近に達したのですが、ガスと緑の藪で道が見当たりません。
2人ともこの辺りを知り尽くしていると思っていましたが、
30分経っても道が見つからず、2人で方向を変え探します。
マップで検討しますが方向が解らず、磁石も持たず、老残は困り果ててしまいました。
雨が降り出し、思わず「おいおい」これは何だ。
2人で地図を見ていると左右に2本の沢がかすかに見えだします。
沢へは下らず、この中間尾根を辿ると朝に付けたペナントにやっと出会いました。
道に迷ってから2時間半の彷徨でした。
雨中下山。反省しきり。6月7日の出来事でした。
6月14日・KFC情報の「山岳遭難救助隊・・・」を見て、装備を点検。
コンパスの準備、ヘッドランプの電池、ヤッケ、セータ、非常食などの再点検をしました。
糸魚川市のフォツサマグナを形成する姫川左岸の小滝から明星山と黒姫山の間を青海町・橋立へ、さらに白鳥山麓の上路から越中へ繋がる古道があり、越中ー越後ー信濃への道として往古より人の往来があった。
小滝ー青海・橋立間の距離12km。
昭和30年代くらいまでは、薪・炭などの生産のため道は使われていたが、その後廃道となる。
糸魚川から信濃方面への塩の道は右岸の根知谷・山口関所を越える道、左岸の虫川関所を通る2本が本道であったが、この関所を避けて塩を運んだ「塩のぬけ道」であった。ぬけ道の争いについては文化年間に藩でも取り上げられ調停がなされた。
またこの道は往古に謡曲「山姥」の舞台となった古道でもあった。
図・塩の道概念図
この古道を糸魚川市の八木氏が古絵図、古文書、文献、伝承、現地在住者への聞き込み調査をもとに2004-2013年にかけて伐採・整備を実施、貫通を見た。その時の活動に参加させてもらった。
あれから5年、その後の道はどうなのか、積み残した課題の調査も兼ねて友人と再探訪してみた。
明星山への登山道と別れ、右手の古道へ。
ここには赤テープを目印に付けます。
途中に咲く、シラネアオイです。
古道はサカサ沢の緩やかな中を通ります。
尾根に登ると標木の大きなブナの木に出会います。古い鉈目が残っています。
時々、しっかりとした道に出会いますが、注意していないと見失います。
今日の目安としていた一本松山を少し下った地点です。
この下に当時「石頭」と呼んでいた径15cmの丸い石が埋めてあり、5年ぶりの出会いです。石に人面らしいものと「天正元年・北ノ庄」と彫られています。
今回、石の材質と文字を解析するため掘り出しました。
ザックに入れた石頭を背に悠々と下ります。
1時間でサカサ沢をわたり、明星山登山道の付近に達したのですが、ガスと緑の藪で道が見当たりません。
2人ともこの辺りを知り尽くしていると思っていましたが、
30分経っても道が見つからず、2人で方向を変え探します。
マップで検討しますが方向が解らず、磁石も持たず、老残は困り果ててしまいました。
雨が降り出し、思わず「おいおい」これは何だ。
2人で地図を見ていると左右に2本の沢がかすかに見えだします。
沢へは下らず、この中間尾根を辿ると朝に付けたペナントにやっと出会いました。
道に迷ってから2時間半の彷徨でした。
雨中下山。反省しきり。6月7日の出来事でした。
6月14日・KFC情報の「山岳遭難救助隊・・・」を見て、装備を点検。
コンパスの準備、ヘッドランプの電池、ヤッケ、セータ、非常食などの再点検をしました。
2018-06-22 18:27
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八ヶ岳の麓のハイキング [日々散策]
谷 和代
6月9日、八ヶ岳の麓のハイキングに行ってきました。
新緑の中、ハルゼミの声を聴きながら白駒の池を一周しました。火事で焼失した白駒荘は建設中でした。
池を一周すると「もののけの森」と標識があり、苔の森がありました。
自然観察会の人から「オオスギゴケ」と教えていただきました。
雪山で何度か泊まった青苔荘前から白駒の池と高見石を望む。
白駒の池周辺に咲いていた花
マイヅルソウ
まだ蕾のベニバナイチヤクソウ
ミツバオウレン
ほかにもコヨウラクツツジや蕾が膨らんだサラサドウダンツツジを見てきました。
6月9日、八ヶ岳の麓のハイキングに行ってきました。
新緑の中、ハルゼミの声を聴きながら白駒の池を一周しました。火事で焼失した白駒荘は建設中でした。
池を一周すると「もののけの森」と標識があり、苔の森がありました。
自然観察会の人から「オオスギゴケ」と教えていただきました。
雪山で何度か泊まった青苔荘前から白駒の池と高見石を望む。
白駒の池周辺に咲いていた花
マイヅルソウ
まだ蕾のベニバナイチヤクソウ
ミツバオウレン
ほかにもコヨウラクツツジや蕾が膨らんだサラサドウダンツツジを見てきました。
2018-06-21 13:38
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木曽路鳥居峠&水木沢天然林(その2) [会員連絡]
石橋定巳
5月28日 水木沢原生林探索
天然林管理棟
水沢天然林
根上がりのサワラ巨木
こぶつき巨大ヒノキ
樹齢500年サワラ
展望台に珍しい明治御料局三角点
展望台 木曽駒ヶ岳が薄っすら望める
床並の滝(とこなみのたき)
床並の平垂(ひらたる)
今だけ朴葉巻饅頭
初体験のご馳走大変ありがとうございました。
5月28日 水木沢原生林探索
天然林管理棟
水沢天然林
根上がりのサワラ巨木
こぶつき巨大ヒノキ
樹齢500年サワラ
展望台に珍しい明治御料局三角点
展望台 木曽駒ヶ岳が薄っすら望める
床並の滝(とこなみのたき)
床並の平垂(ひらたる)
今だけ朴葉巻饅頭
初体験のご馳走大変ありがとうございました。
2018-06-20 17:12
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木曽路鳥居峠&水木沢天然林(その1) [会員連絡]
石橋定巳
写真をピックアップしていると
どんどん増えて結局写真集になってしまいました。
鳥居峠の歴史の旅、水木沢の自然を満喫、湯川さんには
案内していただいた上にご馳走までいただき大変恐縮です。
5月27日
中山道奈良井宿
地元湯川さんお勧めの「こころ音」で昼食
全員集合 杉並木の先
二百地蔵へ
コース案内板
峠入口の高札所
鳥居峠の一里塚跡
子産み伝説の栃の古木
木曽義仲が平家討伐戦勝祈願の願書を認めるのに使った硯の水
御嶽神社
藪原宿
藪原のマンホール
藪原への下り石畳
写真をピックアップしていると
どんどん増えて結局写真集になってしまいました。
鳥居峠の歴史の旅、水木沢の自然を満喫、湯川さんには
案内していただいた上にご馳走までいただき大変恐縮です。
5月27日
中山道奈良井宿
地元湯川さんお勧めの「こころ音」で昼食
全員集合 杉並木の先
二百地蔵へ
コース案内板
峠入口の高札所
鳥居峠の一里塚跡
子産み伝説の栃の古木
木曽義仲が平家討伐戦勝祈願の願書を認めるのに使った硯の水
御嶽神社
藪原宿
藪原のマンホール
藪原への下り石畳
2018-06-19 17:57
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