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駒ヶ根だより 2018-1-31 [山麓便り]

北村健治

寒波襲来の1月末26~30日に駒ヶ根滞在をしました。
20日~21日には八王子~青梅では南岸低気圧による30cm前後の豪雪でしたが、諏訪・伊那・飯田地方の里では、10~20cmくらいの積雪でした。

26日は青梅でもマイナス8度の寒さでしたが、7時過ぎには出立、10時頃杖突峠に到着。
風が少し強いようでしたが、身支度〔ブーツにオーバーズボンとスパッツ〕をして、守屋山東峰まで行き、12:05には杖突峠に帰還。雪は深い所で20~30cm、登山道はスノーシューで踏んだ跡があり歩きやすく、ただ雪下の凍結状況が分からず、時々スリップをすることもありましたがアイゼンを使わずに歩けました。往復2時間余りでしたが、東峰で1人、下山時に2人と出会ったのみで静かな雪上訓練になりました。

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守屋山東峰より、雲に覆われている八ヶ岳を望む。

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守屋山東峰より、西峰の向うに、中ア・北アが厚い雪雲に覆われている。
  
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守屋山東峰より、ところどころ雲に覆われた南アルプス方面を望む。

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守屋山東峰から、分杭平へ下る登山道の雪。
北ア・中アの稜線は雲に覆われ、荒れ模様でした。南ア・八ヶ岳は日差しがあってほぼ眺められました。

27日は、長谷公民館「戸台の化石」資料室で作業。

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伊那市富県御殿場遺跡より、強風(雪雲)にあおられる中ア西駒ヶ岳(前山のみ)を望む。

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伊那市富県御殿場遺跡より、強風(雪雲)にあおられる中ア空木岳を望む。


28日午後から中ア東麓は静かな雪降りで10cmほど積もりましたが、30日朝は晴れ上がり、稜線も見えていました。

29日・30日とも午後、長谷公民館「戸台の化石」資料室で作業。

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駒ヶ根山家より、中ア宝剣岳(千畳敷)を望む。

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駒ヶ根山家付近より、南アルプス北部を遠望する。

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箱根駒の現在 [登山報告]

髙田健三

 1月30日、箱根駒ヶ岳に行って参りました。行ったと言っても平成27年5月の大涌谷火山性ガス噴出によって、駒ヶ岳への登山各ルートは現在も入山禁止になっています。従って、唯一登れるルート・箱根駒ヶ岳ロープウエーにて往復した楽ちん登山でした。

箱根駒ヶ岳三角点附近DSCN3735.JPG
箱根駒ヶ岳三角点(1,327m)附近。
ここの三角点は地面と同一レベル面なので、積雪で探せませんでした。

箱根駒ヶ岳山頂祠DSCN3761.JPG
箱根駒ヶ岳山頂(1,356m)の祠(駒形権現)と奥に箱根元宮(奥宮)。
当日、小田原駅は晴れていましたが、箱根湯本付近では雪が降り出しました。箱根山を下ってくる車は10cm位の雪を載せていました。

山頂の星野様DSCN3753.JPG
箱根駒ヶ岳山頂(1,356m)の岩塊群。
故星野富雄会員にお参りして参りました。

 草津白根山の噴火や蔵王山群の火山噴火レベル2への昇格など、火山の話題が伝わって参りますが、今回、路線バスから大涌谷周辺を見ますと、大涌谷附近の水蒸気の噴出が平成28年1月より多いのではと思いました。

 また、坊が沢登山口を見たところ、恒久的な鉄製の入山禁止フェンスが施設されていました。
                
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駒のつく神社を訪ねる(10)~青梅市根ヶ布・虎柏(とらがしわ)神社 [日々散策]

北村健治

 創建時期は不詳。崇神天皇の御代との伝説がある。1870(明治3)年脇殿に祀られていた虎柏神を正殿に遷し、諏訪上下神(建御名方命・八坂刀売命:女神)を東の相殿として、虎柏神社の旧称に復した。延喜式内社(論社)に比定される古社で、延喜式神名帳には武藏国多摩郡八座の一座に数えられる、調布市佐須町の虎狛(こはく)神社との関係が定かでない。駒ヶ岳ファンクラブ発行の改訂「全国駒名の神社リスト」に掲載されているが、調布の虎狛(こはく)神社ほどの「駒」「高麗」との関わりが少ないと思われる。
 主祭神は、大歳御祖信神(おおとしみおやのかみ)、惶根神(かしこねのかみ:女神)である。青梅市根ヶ布に鎮座し、霞川水源地帯にあって、下流域の水田地帯で耕作が始められると人々はその水源に耕作の神を祀ったのが始まりと考えられ、古くから周辺(霞・小曽木一帯)の農民に信仰されて、五穀の豊饒を祈るようになった。
 940(天慶3)年平将門征伐軍の源経基が諏訪上下神を勧請し、永正(1504-1521)年間勝沼城主三田氏宗により再興されたと伝わる。
 1588(天正16)年浅野長政が除疫神(牛頭天王)を勧請したと伝えられ、これが西の相殿の八雲神社(須佐之男命・事代主命)である。1590(天正18)年正殿に諏訪上下神、東の相殿に除疫神を祀り、小曽木郷の惣社を号して、江戸時代には諏訪明神・諏訪宮と称し、今でも「お諏訪さま」と通称される。1591(天正19)年には徳川氏から朱印地三石を下賜される。   
 現在の本殿は、江戸時代中期の1734(享保19)年、多摩郡青梅村大柳の張海次郎兵衛が棟梁を務め、同郡羽村根岸の大工宮川善右衛門らが工事に携わり建立されたものである。形式構造は三間社・切妻造・茅葺きで身舎(もや)の規模は桁行(間口)4.877m・梁間(奥行)2.940mである。現存する棟札からは、江戸時代の1777(安永6)年に修理が行われていることが分かる。その後前記の明治初年における祭神の配置替えがあって、1873(明治6)年郷社に列した。1892(明治25)年に階段の修理と屋根の葺き替え、1906(明治39)年に屋根の葺き替え、1909(明治42)年には覆舎の造立が行われた。保存状態は良好である。
 この本殿は、公儀普請の建物を除くと、東京都内でも数少ない三間社の遺構の一つで、建築年代も三間社としては古い時期に属し、装飾的な要素も控えめで全体的に古式を伝える貴重な神社建築である。

都指定有形文化財〔1971(昭和46)年3月29日指定〕 
 境内の末社には高峯神社と稲荷神社が諏訪神と同じく源経基が勧請したものであり、もとは西の相殿に祀られていたとのことである。藤原氏の祖先である天児屋根命を祀る藤原神社があり、1573-1590(天正)年間に元宮司であった宮崎氏中興の右エ衛門太夫が藤原姓であったことによる。
 江戸時代以降に寄進された石造物や古木のある境内林は、江戸・明治期の旧態を留めている宗教的神秘性のある独特な空間を形成している。

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門前に建つ記念塔

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参道入口

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参道は大きく右へ曲がって本殿を望む

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都文化財説明板

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拝殿と覆舎に保護されている本殿

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拝殿の天井

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長い参道には、石灯篭

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素晴らしい境内

 年間行事として、歳旦祭・節分祭・祈年祭・八雲祭・例大祭8月26~28日・高峯神社例祭・七五三・新嘗祭・おかまじめ頒布・大祓式などがあり、千百有余年にわたり地域から崇拝され親しまれている格式と歴史のある神社であるが、中世以降、「おすわさん」として、霞川・黒沢川流域の鎮守様として親しまれている。江戸期の「玉川泝源日記」には「諏訪明神礼祭七月廿八日は近郷の若人ども集りて角力を興行して、東西に分れて取組みて勝負あらそえるを見物群集せり」とある。
 交通は、JR青梅線東青梅駅から小曽木・成木方面へ徒歩で約20~25分。バスの便あり。バス停名(都バス)などもいまだに諏訪神社である。

参考資料:平成18年作成の神社資料と青梅市誌や『ウィキペディア』による。




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南総富山(とみさん)幹事報告 [登山報告]

田中相佐子

1月15日 房総富山(とみさん)  

参加者:谷、伊達、石橋、たかみつ、田中
  
 お天気にも恵まれ、今年最初の山行は千葉県南房総の冨山でした。

 10時30分岩井駅集合。女性5人のみ、未着の田口さんに電話すると
「今、君津、ここから帰ります」との事。
せっかく近くまで来られたのに残念でした。

 最初に福満寺に参詣し、登山の安全を祈願した後に、どんどんと急坂
を登ります。1合目、2合目と目印もしっかりしており、路傍の水仙の
香りや、木々の合間から見える景色に励まされながら、12時には南峰に
着き 小休止後すぐに北峰へ向かいました。

 北峰は以前、皇太子ご夫妻も登られたことがあるとのことで、ベンチや
展望台も整備されていました。

 少し雲がありましたが良い天気で、富士山・伊豆大島・東京観音・横浜
ベイブリッジ等が見渡せ最高の景観でした。

 昼食後、伏姫籠穴を見学した後、小中学校横から4人は直接岩井駅へ向
かわれましたが、私は「道の駅」へ寄り道をしたあと、海からの向い風に
逆らいながら必死に走り、14時52分の電車で皆んなと一緒に帰ることがで
きました。
(写真は、谷さん、高光さんのポストをご覧ください)
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糸魚川駒ヶ岳山麓・雪の散歩 [日々散策]

木本桂春

1月15日、前日に続き晴です。車で行ける糸魚川山麓の散歩に出かけます。
糸魚川から姫川に沿い、根知谷をたどります。

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カネコロ
頂上から落ちる壁にカネコロの氷瀑が下方の雪に突き刺さっています。
右下方に飯盛山のスノーリッジが見えます。

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ワニ口の洞窟
左に目を転じると西壁に2本の氷瀑が落ちこんでいます。
この間にワニ口の洞窟があり、不動明王、十二仏の石仏、
木の祠に入った木像があります。冬は全く近ずくことが出来ません。
大久保で車道はストップです。カンジキで歩きます。

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雨飾山
雨飾山の双耳峰が見えています。写真では見えませんが、雪煙が右から左に見えています。

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鋸山
駒ヶ岳、鬼ヶ面山、鋸山と縦走路があります。これは鋸山です。
雪のある時は厳しい雪稜歩きになります。雨飾山に連なります。

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戸倉山
いつも行く戸倉山です。今日はそこまでは足が届きません。

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白池
白池、大雪と言っても昔から見れば2m位少ないです。
本日の散歩終了。


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駒のつく神社を訪ねる(9)~調布市佐須町・虎狛(こはく)神社(別名虎柏神社)                  [日々散策]

北村健治

 創建は589(崇峻天皇2)年8月とされるが、天平勝宝年間との異説がある。多摩川流域で最も古くから拓かれた地域として、1873(明治6)年旧郷社の中でも佐須地区総鎮守であった。狛江郷(狛江・調布)に、住居を定めた渡来系高麗人の集落神として祀られた古社と推定されている。907(延喜7)年撰上の延喜式神名帳に武蔵国多摩郡八座の一座として記載されている「虎柏神社(こはくじんじゃ)」の「柏」の字が「狛」の字の誤記であるという説によって、当社が式内社(論社)となっている。同名社が青梅市根ヶ布にあるが、関係が定かでない。
 また、「深大寺縁起」によれば、深大寺(733)の開祖・満功上人の祖父の右近長者の居住地・柏野里と祖母虎女、それぞれの名から虎柏明神と名付けられたという。後世衰微して神体もなくなった時代があり、祭祀も毎年8月15日に行なってい廃絶して、その後地頭の寄附により9月13日に神楽を執行し、村内祇園寺が別当となり江戸時代を迎えた。江戸時代までの旧別当・虎狛山日光院祇園寺〔佐須町〕から、明治の分離令によって分離独立して、1873(明治6)年12月には旧郷社に列格している。
 いずれにしても、奈良時代以前の渡来人の居住地であった、狛江郷一帯の史蹟資料からの総合的な判断では、5世紀後半から6世紀にはかなり高度な寺社絡みの土木・建設・建築技術や農業技能を中心とする高水準の民俗文化が朝鮮半島から多摩川中下流域に持ち込まれていたことを物語る、興味深い神社である。現在の本務社は狛江市伊豆美神社である。
 祭神は農業の神様である大歳御祖神(オオトシミオヤノカミ)がお祀りされて祭事が始まったとされる。後に穀物の神様である倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)も合祀された。

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①大鳥居

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②参道奥に社殿を望む(社務所前の巨石碑⑤)
 
 現存する本社殿は、1683(天和3)年12月に再建されたもので、調布市、狛江市では最も古い建造物の一つである。江戸時代初期の高度な建築技法をよくとどめた建造物であり、建築形式は一間社流造りの見世棚造りと呼ばれるもので正面と側面に擬宝珠高欄付きの切目縁をめぐらせ向拝には五段の木階と浜縁が設けられている。拝殿上部には細やかな美しい造形の虎や獅子が彫られている。本殿屋根も当初茅葺であったが銅板葺きに改修した。願主は貫井三良右衛門、新右衛門、牛込の大工柏崎佐太郎などによるとの三枚の棟札があり、1815(文化12)年に地元の大工によって修復されたことも分かっている。大正時代以降修築されず、痛みが酷く荒れた時期もあったが、2012(平成24)年3月調布市の文化財指定を受けて、2014(平成26)年に改修整備が行われた。文化財指定の本殿は覆殿の中に保存されている。

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③枯れたクロマツの巨木の切り株?

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④拝殿の奥に本殿(覆屋の中)

 なお、境内には「江戸名所図会」にも取り上げられていたほどの古くから知られていた、「虎狛神社のクロマツ」の巨木があった。都内でも有数のクロマツの大木で1964(昭和39)年に東京都の天然記念物に指定され、推定樹齢300年以上で灰黒色を呈した樹皮の一部に大きな裂け目が一直線に入っており、樹高28メートル、幹まわり4.45メートル、大きな傘状の枝張りは8メートルとの記録(1993)がある。都内の三巨松に数えられて、永くよく保存されていた御神木であったが、落雷や松くい虫の被害に遭って衰弱し、1996(平成8)年の枯死したため、1999(平成11)年に天然記念物指定を解除されている。

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⑤巨石の「狛江郷須佐邨虎狛神社之碑」

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⑥鈴のある拝殿

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⑦境内を埋める広葉樹の木立

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⑧富士山・講社登山記念碑(6回の登山記録)

 境内には、拝殿前に「邨虎狛神社の碑」の巨石が建っている。その他日清戦争の「征清従軍碑」、富士山の「講社登山記念碑」1921(大正10)年などがある。
 祭  日:10月10日
 交  通:京王線布田駅から徒歩15~18分。
      京王線調布駅からJR吉祥寺駅行きバス、佐須下車約3分。
      京王線調布駅から36・37系統バスで、虎狛神社前下車。
 参考資料:『新編武蔵風土記稿』、『調布市誌』や『ウィキペディア』による。
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富山スナップ [登山報告]

たかみつ たみこ

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季節外れの紅葉

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落ち葉をサクサク踏みながら歩く道

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展望台の案内図

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頂上にて
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南総富山(とみさん) [登山報告]

谷 和代

1月15日、企画委員会主催行事で千葉県の富山(とみさん)に出かけました。

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岩井駅の陸橋からの富山
双耳峰です。

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伏姫籠穴(ふせひめろうけつ)
籠窟(ろうくつ)とも。
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伏姫籠穴の前で

 滝沢馬琴が28年をかけて創作した「南総里見八犬伝」はNHKの人形劇で見た方もいらしゃるのではないでしょうか?
 仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌 の文字の刻まれた玉を持ち、犬の字を含む苗字の八剣士を巡る話。
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甲斐駒の麓より 2018-1-14  [山麓便り]

平井英明

甲斐駒定点報告です。
日本海側は大雪で被害が心配されます。一方、太平洋側は快晴が続いていますが、
その分、各地で最低気温を記録するほど冷え込んでいます。

家の周りも白い.jpg
家の周りも白い
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霜柱
我が家の周りも地面は凍りつき、日陰の霜柱も融けることなく何日もそのままの状態です。

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甲斐駒定点
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甲斐駒定点2
甲斐駒も白い姿がすっきりしています。

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道祖神祭り
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どんど焼き
14日は、集落の道祖神祭りが行われ、どんど焼での団子もいただき、無病息災の一年を祈りました。
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阿須丘陵七国峠 [日々散策]

北村健治

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青梅市藤橋付近より阿須丘陵を望む
1月8日曇天時折薄日が差したり小雨が降ったり、9時前に自宅を出て、阿須丘陵を目指した。

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整備された尾根道と左は手入れされた造林
尾根道にでると間もなく、今井小学校東側あるいはJR金子駅(八高線)方面からの車道に出た。

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七国広場
約70分で七国広場に着いた。

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三等三角点(225.9m)
最高点238mはさらに北北西800m。

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「弥平衛松」の石碑(解説なし)

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七国峠交差点
西武飯能駅からでもほぼ70分である。

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岩藏街道笹仁田峠
岩藏街道笹仁田峠に約15分で下山した。

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霞川付近から奥多摩の山々を遠望(右手のピラミット峰は大岳)
11時20分には帰宅。
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