SSブログ

徳和渓谷の滝巡り [日々散策]

谷 和代

7月19日、涼を求めて徳和渓谷に行ってきました。
徳和渓谷は乾徳山登山口の先にあります。

IMG_1289.JPG
案内図

IMG_1295.JPG
夢窓の滝

IMG_1307.JPG
荒神の滝

IMG_1304.JPG
愛染の滝

IMG_1315.JPG
乾門の滝

IMG_1320.JPG
白虎の滝

IMG_1299.JPG
長尾の滝

IMG_1324.JPG
竜神の滝

どれも、余り大きな滝ではありませんが、森林浴と涼しさを堪能しました。

IMG_1291.JPG
ヤマユリ

ウマ・うま・馬の百態 その5 [駒・馬の話]

シエーナのパーリオ(裸馬競馬)
田口計介

 イタリアの中部、トスカーナ州シエーナ県シエーナは、イタリアが誇る13~14世紀に都市建設を行った中世都市(世界遺産)である。
 そのシエーナのカンポ広場は、最古の開催が13世紀とされる裸馬競馬・パーリオの会場である。
205f00d9c4a7e095fdbe4ea75c19df67.jpg

 パーリオとは競馬の優勝旗のことであり、毎年競馬はいずれも聖母マリアに関わる7月2日と8月16日の2回行われる。
 鞍や鐙はな鳴く、10コントラーダ(地区)・10頭立の手綱のみで石畳の1周300mのコースを3周する。
tn3-filepict-1462438764.jpg

tn3-filepict-1463402557.jpg

 ただそれだけの競馬であるが、イタリアを代表する祭りである。
 私と妻は、2007年この1分弱の競馬を見るためにシエーナに出掛けている。


2年前の十和田湖と奥入瀬渓流 [旅の報告]

谷 和代

DSCF5852.jpg
十和田湖

猛暑お見舞い申し上げます。
2年前に訪れた十和田湖と奥入瀬渓流の写真で涼んでください!

DSCF5868.jpg
奥入瀬渓流

DSCF5858.jpg
九段の滝

DSCF5879.jpg
白布の滝

駒ヶ根だより 2017-07-12 [山麓便り]

北村健治

7月は野良(ことに草取り・草刈り、タマネギ・ニンニクの収穫)も気になり、駒ヶ根に7~10日滞在しました。

7日は、昼食後出立、16時前に伊那市長谷公民館に出向き、日没前に、駒ヶ根の山家に到着しました。

8日は、晴、午前中山家での野良仕事、午後長谷公民館(「戸台の化石」資料室)に出向き、標本整理など、友人に会う。

9日は、晴、終日山家で、野良駆良生活(庭木の手入れ、畑の草取り、ジャガイモの試掘など)。兄姉との交流。

DSCN2281編.JPG
9日18時ころ、駒ヶ根山家より、夕暮れの中ア宝剣岳を望む。
暑さで霞んでいます。

10日は、午前中山家で野良(草刈りなど)、午後長谷公民館へ出向き(国交省事務所訪問・綜合支所訪問)、17時より伊那市創造館で会議、夜半に青梅に帰宅。

DSCN2283編.JPG
10日5時ころ、駒ヶ根山家より、朝日に染まり始めた中ア宝剣岳
もう雪もほとんど消えました。

DSCN2289編.JPG
伊那市長谷粟沢の路傍で、タケニグサが咲き始めています。

DSCN2291編.JPG
伊那市長谷粟沢の路傍で、ミズキ?の花。

DSCN2292編.JPG
伊那市長谷粟沢の路傍で、クズの葉とどんなに乾いていても花を咲かせる、野生化したムシトリナデシコ(外来)。

ウマ・うま・馬の百態 その4 [駒・馬の話]

15~19世紀の西洋絵画のペガサス

田口計介

img084.jpg

img086.jpg

img087.jpg

img088.jpg

img089.jpg

img090.jpg

img091.jpg

img092.jpg

img094.jpg

駒のつく神社を訪ねる(7)~浅草寺・駒形堂 [日々散策]

北村健治

 台東区に駒形、墨田区に東駒形の町名があり、境を流れる隅田川には昔の船着場、渡船場「駒形の渡し」に代わって隅田川十三橋の一つ「駒形橋」〔1929(昭和4年)架創:長さ146.27m、幅25.2mの鋼橋で戦後に改修された〕が架かっている。

グラフィックス1.png
駒形橋の由来記(駒形堂の前にある)

グラフィックス2.png
駒形橋西詰北側(「こまがたはし」とある)

 この橋の西詰北側〔雷門二丁目駒形公園内〕に堤防を背にして西向きに立派な「駒形堂」が建てられている。

グラフィックス3.png
浅草寺駒形堂

 西詰南側の歩道脇には江戸期の駒形界隈の情景を描いたレリーフや由来記がある。

グラフィックス4.png
駒形橋西詰南側

グラフィックス5.png
駒形堂の由来記

 駒形(こまがた):寛文(1640年代)江戸図には「こまがた丁」と記されていること、馬頭観世音像を納めた駒形堂による。①川面から見える堂の形が「駒が駆けているように見えた」ことにより「駒かけ」が「駒がた」に転化した(江戸名所記)、②寄進された絵馬を掛ける駒掛け堂の駒掛けから駒がたに転化した(燕石雑記)、③箱根から駒形神を勧請したお堂である(地名辞書)の三説がある。また、初代広重は吉原遊女の恋慕の句「君はいま駒形あたりほととぎず」に因み、「名所江戸百景」に駒形堂の空にホトトギスを配している。

 駒形堂、駒形橋への交通の最寄り駅は、浅草寺玄関である東武浅草駅から5分、地下鉄銀座線・浅草線浅草(雷門)駅から2~3分、駒形橋北詰交差点を一巡りしても、20~30分もあれば回れる。駒形公園:駒形堂境内には、わずかな植樹もあり、句碑・記念碑(由来記)などもいくつか保存されている。

グラフィックス6.png
駒形公園に駒形堂はある

 地名としての駒形は、江戸期から明治初年まで駒形町が使われ(町方書上)、1868(明治元)年東京府、1872(明治5)年浅草駒形町となり(府志料)、1878(明治11)年浅草区に所属、1934(昭和9)年以来浅草駒形1・2丁目、1947(昭和22)年台東区に所属浅草駒形、1964(昭和39)年以降駒形1・2丁目となる。東駒形は町名として1947(昭和22)年本所区に、1966(昭和41)年台東区に所属し、東駒形1・2・3・4丁目としても使われ、またバス停や首都高速道インター、パーキングなどにも広く使われている。老舗「駒形どぜう」もある。

グラフィックス7.png
地下鉄出口案内板にも駒・馬の文字

グラフィックス8.png
案内地図にも駒の字が読める

 参考資料:『角川日本地名大辞典13 東京都』角川書店(1953年)

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。