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駒のつく神社を訪ねる(5)~駒留八幡神社(世田谷百景の一つ) [日々散策]

北村健治

 東京23区内にも駒のつく地名はいくつもある。駒ヶ坂(中野)、駒塚橋(文京)、駒の橋(新宿)、駒場(目黒)、駒込(文京・豊島)、駒形(台東・墨田)、駒沢(世田谷)と多く、ことに駒込のつく地名は実に多い。どれも駒・馬との関わりのある由来を持つと思われる。
 中でも駒沢(こまざわ)は、1889(明治22)年以来の荏原郡駒沢村大字名として下馬引沢・上馬引沢が使われ、1925(大正14)年~1932(昭和07)年に駒沢町の大字名として下馬・上馬が使われた。1932(昭和07)年に世田谷区下馬町・上馬町と表記され、昭和40~43年の改正以後は世田谷区下馬1~6丁目、上馬1~5丁目、駒澤~5丁目との表記になった。
 その由来は頼朝伝説に始まる馬引沢の地名に始まり、江戸時代天保期には馬引沢村一村であったが、後に上馬引沢村・中馬引沢村・下馬引沢村となり、中馬引沢村は1879(明治12)年に上馬引沢村に合併したが、1889(明治22)年には駒沢村の大字中馬引沢となり、1932(昭和07)年以後は三軒茶屋となる。
 旧下馬引沢村は駒繋神社氏子地域として下馬、旧上馬引沢村は駒留神社氏子地域として上馬との駒沢町時代の大字名が使われ、それぞれ現代に至る。駒沢は旧練兵場、公園、オリンピック公園、総合運動場、競技場、小・中学校、大学、駅、通りなどの名前にも広く使われている。

 さて、駒留神社は旧上馬引沢村旧村社として、世田谷区上馬5丁目35番地に南向きに鎮座する。現在の氏子は上馬1~5丁目・三軒茶屋・駒沢1~3丁目に分布し、例祭日は10月15日(神事)、それ以後の週末に諸行事が行われている。サギソウの名前発祥地の伝説がある。
 現在の社は、クロマツの保存木やケヤキなど高木が何本か残されているが、周囲の住宅への配慮なのか、かなりの大枝が切り下されて、境内にはすっかり日差しが降り注いで明るい遊園地のように見える。歴史のある神社としての雰囲気が残念ながら壊されている。

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一の鳥居(木立がなく寂しい)

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二の鳥居(境内が殺風景)

 御祭神は天照大神・応神天皇であり、記録によれば鎌倉時代の1308(徳治03)年、当地の領主北条左近太郎入道成願が、八幡大神を勧請し創建された。成願は御神託により、奉斎する土地を選ぶ際、自らの乗った馬の手綱を緩めて歩かせ、馬が立ち留まったところに社殿を造営したことから「駒留八幡」と称するようになったと伝えられる。

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狛犬の奥に本殿

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立派な神楽殿もある

 また、世田谷城主吉良家との関わりによる厳島神社、三軒茶屋に鎮座していた天祖神社や、稲荷神社、女塚社、御岳社、三峰社、榛名社、菅原社などが広い境内にそれぞれ祀られている。

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由緒ある合祀社の一つ(厳島神社)

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合祀社(菅原・榛名・三峰・御嶽)

 神社名の駒留も他に例がなく珍しい。周辺では中学校・陸橋・通り・バス停・お店・お囃子などの名前に使われている。

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暗渠になった川に橋の名前だけ残る

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通りの名前にもなっている

 最寄駅は、東急世田谷線若林駅で、すぐ東側にある環状7号線に沿って南へ10数分も歩けば、立派な拝殿・本殿を中心として歴史を物語るような狛犬や神楽殿、各境内社の祠などが立ち並んでいる。


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