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駒のつく神社を訪ねる(2)~昭島市大神町の駒形神社 [日々散策]

昭島市大神町の駒形神社
                              北村健治
(先にupした記事を補足改訂し以下に替えます。北村)

 『駒ヶ岳学講座シリーズ(1)全国の駒名の神社リスト』では、東京都の5番目に記されている。昭文社発行の『でか字まっぷ東京多摩』には古刹観音寺のみが記されているが、同社発行の『エリアマップ東京区分地図』の第35図昭島市をルーペで見ると、大神町三丁目に観音寺と並んで、多摩川左岸中位段丘崖の上に駒形神社と記載されている。

 3月23日(木)晴天、ソメイヨシノの蕾の膨らみを観察しながら、9時半ごろ昭島駅南口を南へ向かって歩き始めた。日枝神社の辺りで緩やかな立川(上位)段丘崖を感じながら、八高線踏切を渡り、奥多摩バイパスを越えると、間もなく観音寺と駒形神社の木立の北側の横町にたどり着いた。昭島駅から真南へ約2km、徒歩30分ほどである。

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 南側の奥多摩街道に回ると、銅装の立派な神明鳥居と、脇に「昭和三十七年九月節句・当所氏子小室豊造」と刻字された御影石が建っている。隣の観音寺と同様の金網製垣根に囲まれた広い境内には、ケヤキ・サクラ・イチョウ・シラカシ・サワラなどの古木に守られるように、灯篭・幟立・狛犬各一対(平成元年一月吉日建立)ほか神明造りの拝殿本殿、数社に及ぶ合祀諸宮などが配置され、神輿庫、山車庫、倉庫、社務所を兼ねた地区自治会館らしい建物、トイレなども完備されている。現在の例祭は7月下旬の日曜日とのこと。
グラフィックス2.png

 広い境内中央南向きの拝殿には「駒形社」の額、その奥に覆屋のある本殿が鎮座する。
グラフィックス3.png

 本殿の右手奥には、御嶽神社、金比羅宮・第六天神社・天満宮・稲荷神社・津島神社を覆屋付きで合祀し、本殿西側には朱赤の鳥居の奥に稲荷大明神が祀られ、脇に奉納「水田一反四畝十六歩(14アール余)昭和14年2月初午・当所小室克博豊造」の石碑、南・榛名山大権現、東・秋葉山大神、北・愛宕山大権現、西・駒大明神稲荷大明神と刻字された頭のない古い石柱が残っていた。
グラフィックス4.png

 他にも境内には古い石碑か石柱などの破片も見られる。

 この神社は、水沢市の駒形神社を惣社として、大己貴命(おおなむちのみこと:大国主命)・小彦名命(すくなひこなのみこと)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祭神とする稀有な存在であるが、惣社同様に馬を保護し、馬の病気を治癒させる霊験により人々の信仰が厚く、江戸時代には旧大神村の鎮守社でもあった。創建年代は不詳(板碑などから鎌倉期?)ながら、当社の前身であった神明社は、永禄12(1569)年武田軍の滝山城攻めの折に東勝寺(観音寺の前身)とともに兵火で焼かれ、天正18(1590)年(棟札より)、慶長8(1603)年権大僧都広栄法印による観音寺創建時に守り神であった駒形社も創建され、慶長18(1613)年多摩川の野火で焼失し、元禄13(1700)年再建、宝暦12(1762)年修復、慶応2(1866)年本殿修復、の記録がある。
 明治元(1868)年神仏分離令により、観音寺と分離され村人管理となり、昭和5(1930)年には拝殿が再建され、昭和50(1975)年神輿復元・祭礼振興会結成、昭和51(1976)年駒形囃子連結成、昭和52(1977)年本殿・拝殿をの修復、平成11(1999)年山車新造、平成13(2001)年万灯神輿新造、平成18(2006)年から祭礼灯篭を百十数基新設、など神社行事もますます盛大となり現在に至る。観音寺に遺る絵馬には、「奉納駒形大明神」文久元(1861)年の記録があることからも武州西部に多くの信者がいたものと考えられる。

参考資料:『昭島市史 附編』 昭島市史編さん委員会 昭和53(1978)年11月1日発行
    :「駒形神社」の概要 などを参考とした。



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梅林ガール

駒形神社巡りも続けるのは大変そう! 次回を楽しみにしています。
by 梅林ガール (2017-04-01 21:41) 

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